魔法使いの猿達へ

太った精神病の男がライブハウスで酒を飲み、服用していた薬物のせいでラリってしまって、山田亮一が17才を歌っている時に大きな声でありがとう、ありがとう…と感謝を唱えていたライブの帰り道、5ちゃんのバズマザーズスレではそのことで話題が持ち切りで、「これ書いたのせいやくんでしょ」と当時好きだった男の子にラインを送ったら「もえちゃんでしょ」と返ってきて、私はそれがなんか嬉しかった。違うけど。

 

2013年に出たバズマザーズとしての最初のEPに「魔法使いの猿達へ」という曲が入っている。これは言うまでもなくハヌマーンというバンドとそのファンへ向けたお別れの曲で、(おそらく)バズマザーズでいちばん最初のバラードだ。ハヌマーン時代の鋭さはほとんど失われて、暗いトンネルの中をすぐそこに見える柔らかい光を目指して歩いている、その歩幅に近いリズムで、山田亮一は猫背になってギターを弾いている。

 

曲の中では、ハヌマーンとそのファンは "容易に会える距離にいておそらく二度と会わない人たち" と表現されている。あの日の精神病の男やせいやくんや、ストパーをかけた山田亮一(今は伸ばした天然パーマをそのままに前髪をかきあげて胡散臭いオジサンの様相)が、わたしにとってのそういう人たちになってしまった。山田亮一にとってももう、"二度と会わない人たち"なのかもしれない。

 

前身バンドとの決別とバズマザーズとしての再出発を歌ったこの曲(の入ったEP)からももう10年近く経ってしまった。山田亮一は今は大阪でバーテンダーとして働き、猫とみおちゃんと3人で暮らしているらしい。かつて一緒にライブに行っていた友達は、みんなまだ山田亮一のこと気にかけてるんだ偉いね、とかって言ってたけど、自分を救ってくれた相手に愛想を尽かすのはなかなか難しい。何年経ってもね。

 

魔法使いの猿達へ

魔法使いの猿達へ

1966

グラスは水滴まみれになっている。わたしはその水滴を拭いて、氷と焼酎を足し、ソーダを注いで8分の1のレモンを入れる。小さな娘が作ってくれた心温まる家族愛レモンサワーを前にしても、パパの批判は止まらない。顔を紅潮させて天皇陛下万歳と叫ぶ。わたしは何も分かっていないけど、うんうんとかそうだよねとかってずっと言っている。おばあちゃんは何も聞こえないふりをしてテレビの昭和歌謡特集を一心に見つめている。パパに対抗するおじいちゃんは元警視庁勤務特有の冷静さを崩さずに、いやそれは違う、そんなやり方はアメリカ的だ、と言う。わたしの家では「アメリカ的」というのはマイナスの形容詞で、情けをかけない、義理人情のない、弱者を見捨てる、という意味だ。ふたりの白熱した議論を終わらせられるものは時間以外になかった。おれは寝る、と言っておじいちゃんが寝室に行っても、パパはわたしを相手に自分の正当性を主張し続けた。

 

わたしが塾をさぼろうとしたとき、パパはよくわたしを蹴飛ばした。自分が行きたいと言ったのに、休むのは筋が通っていない、そういうのは、左がかった連中のすることだ、と言われた。「左がかった」と言うのは左翼的であるという意味で、もちろんこれもマイナスの形容詞だ。でもパパは、(今考えてみれば)左翼的思想そのものを批判していたのではなく、左翼の人たちの自分勝手な行いばかりする、という傾向を批判していただけだった。パパにとっての敵は社会主義共産主義ではなくご都合主義だったというわけだ。

 

以上のように、幼少期のわたしはパパが怖かった。もちろん怒らせてはいけないし、怒ったら手がつけられない、泣き落としなんて効かない相手だと思っていた。それがいつの間にか対等に話をするようになり、怒鳴ったり蹴飛ばすこともなくなり、いつかはわたしがパパにもうやめてと言わしめることさえあった。これはとても悲しいことだ。わたしは、強くて雄弁で、死に物狂いで働き、毎晩倒れるまで酒を飲んで、妻を両親を怒鳴りつける典型的な家父長のパパが好きだったんだと思う。ハイボールをちまちま飲みながら黙って犬を撫でているパパを見るのは寂しい。

 

そして、家父長的父親を失った女は、その先でまた新たな家父長を求めるのである。

でもみんなのことが大好き

都会に対するコンプレックスを抱えて上京することは、ルッキズムに侵されて整形を繰り返す風俗嬢の思考に酷似している。

 

私の地元は、東京の隣県でありながら東京までは片道2時間はかかるという場所である。田んぼと山と海といつでも売り出されている土地とまばらな住宅のみがあるまちだ。そこでは車がなければスーパーへ買い物に行くことさえままならない。電車とバスは1時間に一本。浅野いにおの漫画で閉鎖的な田舎の町を描写する際に高速道路が描かれていたが、本当の田舎にはそんなものは存在しない。4年ほど前にいわゆる地方都市的な土地に引っ越してきて、高速道路が住宅街を二つに分断するように架かっているのを見て感動した覚えがある。17歳まで古く廃れた町に閉じ込められていた田舎者の私は、歳を重ねるにつれて都会に対するコンプレックスを強く感じるようになっていた。

17歳の私はこんな町に生まれさえしなければ、このままでは腰の曲がった老人たちの臭いが移ってしまう、みんなの鼻はもうその臭いに慣れてしまっている、私はあなたたちとは違う、それを異質だと感じることができる、早くこんな場所から脱出しなければ。必死の思いでなんとか地方都市まで辿り着いた私だったが、買い物の仕方や地下鉄の乗り方、駐輪場が基本的に有料であることや意外とコンビニで年確はされないことまで標準的な生活というものを何一つ知らなかった。当時の私にとっての「都会」での生活は十分に刺激的で、東京まで片道1時間という事実でさえ素晴らしく思えた。

 

先日地元に帰省して、長い付き合いの友人と食事をした。彼女は地元を出てはいないが池袋にある大学まで特別急行列車を使って通っていて、もう地元にはうんざりしているようすだった。私は成人式に出席しなかったので、中学校まで同じだった人たちが今どんなふうになっているのか全く知らなかったのだが、やはり地元に残っている彼女はいろいろと知っていて、インスタグラムでいちいち検索をかけてはこれは誰ちゃん、これは誰くん、と写真を見せてくれた。ほとんどの人たちは地元に残って就職したりやめてフリーターになったり、家業を手伝ったりして暮らしているようだった。特に女の子は結婚したり子供を育てている人もいて、その良し悪しは別として、自分だけがずっと惨めな田舎者の16歳の少女のままなんじゃないだろうかという気がした。しかしその反面、これからも退廃し続けるであろう町とそこに住み着く老人たちの息がかかった閉鎖的なコミュニティの中で一生を終えるなんて絶対に嫌だ、それこそ惨めだ、私はこうはなりたくない、と強く思ってしまった。他人に対して惨めだなんて感じてしまうその精神こそが一番惨めだということはわかっているのに。

私だって自分のおじいちゃんとおばあちゃんは大好きだ。くたびれ色褪せたその思想は気に食わなくとも、もうすぐ死んでしまう人の考えを今更是正しようだなんて愚かなことは流石に考えたりしない。しかし、そんなものが身近にあると色々と厄介なのでできるだけ他人事にするようにしている。おばあちゃんはよく私に、「あなたは長女だし優秀だから婿取りだね。この家を継いでもらわないと死んでも死に切れないよ」と言う。うちは別に何か商売をやっているわけではないのだが、私の三世代前、おばあちゃんのお母さんの世代ではかなりのお金持ちだったらしく、そんな素晴らしかったこの家系を絶やさないでほしいと言うことなのである。小さい頃からそんな感じのことを言われ続けてきたので、これはどんな家も抱えている問題なのだろうな、優秀な長女の皆さんはどうしているんだろう、と考えていた。そのことを昔の恋人に話したら、「すごいね、家系がどうとか考えたことも言われたこともなかった」と言われてすごく驚いた。どの家でも抱えている問題ではないのだ。私のおばあちゃんは、過ぎ去ってしまった栄光を引きずり墓石までの数歩を重い足取りで歩くゾンビだったのだ。私は難しい気持ちになった。

 

将来は国分寺とか立川とかに小さい家を買って黒くてしなやかな犬を飼って暮らしたいと思っている。

 

 

日記2

今日は午後から特に風が強かった。なんか台風とかいうでっかい風の回転がウチらの大陸を通ってどこかへ向かうらしい。台風っていつもいつもこの時期になると来るけどどこに向かってるんだ。帰省みたいなこと?毎年毎年。身だしなみを気にしている一女性としてたいへん迷惑しています。

 

おじさんと話すのはだいたい16〜18時くらい。おじさんというのはもちろん愛称で、本当におじさんだと思っていたらそんな呼び方はできないしそもそも仲良くしたりしない。女子大生とおじさんはインターネットの皆さんがご存知の通り、人間関係の中でも著しく相性が悪いのである。私はいつも充電がギリギリで、駅の近くの公園でタバコを吸いながらバカでかい声で笑ったりしている。馬鹿に見えている自覚はあります。今日も例によってその公園でおじさんの暇をつぶしてあげたわけだけど、当然ながら風がすごかった。おじさんのカーナビのボリュームもやけに大きくて、もう風とカーナビが会話しているみたいだった。

ロンドンの電車ってかなり不便らしい。乗り越し精算という手段が存在しないから、万が一寝過ごして戻れないくらい線路の彼方まで行ってしまった場合は罰金3万円。本当にどういうこと?と思った。ロンドンはもっと人に優しくなったほうがいいと思うよ。アタシ的には。それから電車がどのホームに来るかも、到着5分前にならないと分からないらしい。誰にも。だからロンドンで生活している皆さんは駅の中では電光掲示板に釘付けなんだって。顔を上げていこうぜってことか?皮肉な話だね。クールジャパン(笑)と思っていたけど、公共交通機関に関しては少なくともロンドンよりは合理的なシステムがクールに機能している。でもロンドン行ってみたいな。安直な理由だけど、ヨーロッパの建造物ってかなり美しいから。一度は直接見てみたいよね。私は美しいものが好きです。

 

おじさんが、君は人の言葉に厳しいよねと言っていた。厳しくしているつもりはなかったし、私が完璧に日本語を使えているかと言われたら自信はないけど、できるだけ正確な言葉でやり取りしたいと思うとつい突っ込んでしまうのだよね。人の言葉には厳しいくせに自分はそこそこ適当だよねと言われたので、私は言葉のパリだから、と答えたら、最先端をいっていますということをパリと表現するのは古風だと言われた。確かにそうなのかもしれないけど、世間の流れにいつもついていけない私達はパリ以外の流行の場所を思い付くことができなかった。知識の敗北である。

 

それから、虫の足が細いのは身体自体のサイズが小さくて重力の抵抗が少ないからだ、という面白い話を聞いた。さすがおじさんは物知りだねーと思った。今文字に起こしてみて気づいたけど、私は理屈がきれいに一直線につながっていくのが好きだ。接続語がたくさんある文章が好きだ。すべての物事の理由が知りたいと思う。ってことは数学とかも本当は好きだし得意なのかもしれない。高校生のとき数2で2点取ったけど。

 

 

おじさんと話したことを忘れたくないのでここに書き記しておきます。

 

 

KAMISAMA

昨夜一晩、身体を休ませるための真っ暗な数時間を使って神様について考えた。男の子が携帯電話を通じて、俺は神様だなんだと主張するので、神様ってどんな姿形をしているんだろうねえ、神様にできないことってなんかないのかな、缶の底に溜まっちゃったコーンを一つ残らず出し切る、とか、と神様についての素朴な疑問を投げかけてみた。神様は俺だし、できないことなんか何もないしコーンも出し切れる、となんの捻りもない退屈な回答だった。そんなつまんないこと言っちゃだめだろ。お前のその中央大学に入学できるだけの頭脳を全力で行使してくれよ。神様に関することだぞ、日本には全国民が信じている明確な一人?の神様が居るわけではないけど、概念として神様ってすごく大切なものでしょ。私は常に漠然とした神様に祈りを捧げている。私が知っている神様の形は、言葉として表現されているこの漢字二文字しかない。言葉はものや感情を表すには不十分だけど、概念に関しては言葉の上でだけ目に見える形として現れてくれるからありがたい。何を言っているか分かりますか?言葉で複雑な考えを説明するのは大変難しいことです。

 

例えば、私達の国で言えば八百万の神の存在に基づいて、全てのものには神が宿っているという考え方をしてみる。私と男の子はこんな会話をした。男性器の神様は白くてもやもやした形。それは精子じゃん。じゃあ精子の神様は?精子の神様は男性器の形。男性器と精子で対になってるんだ、男性器と女性器じゃなくて。女性器の神様は子宮。え、子宮そのもの?形とかじゃなくて?うん、そのもの。子宮は神様。子宮で命を作るでしょ、神様が人間を作るみたいに。男の子は納得してたしかなりウケていた。こんな奴らが神様について考えてはいけないだろ。低俗な人間は神様に祈る権利さえない。帰ってください。

 

そういえば先日友人と神話について、ノアの箱舟とかね、(酔っぱらっていて確かな記憶がない)話したし、オドフットワークスというイケイケダンシングサブカルポップミュージックグループはKAMISAMAってタイトルの新曲を出していた。何かと神聖なものが身近な一週間である。

 

 

 

いかかでしたか?皆さんもぜひ神の存在について思考を巡らせてみてくださいね!それでは!

 

日記

友人が精神を病んだ、らしい。その日私は大学の喫煙所で、授業中の退屈な気持ちを吐き出すような気持ちでタバコを吸っていた。3,4限と空きコマが続くのでお昼はもう少しあとに食べてもいいな、青やファンデーションの匂いが充満した食堂でひとり食事を取る気にもならないし。しばらく会っていない(と言っても1週間くらいだけど、退屈な生活をしていると1週間というのはひどく長い時間になる)友人と喫茶店にでも行こうかしらと思い立ち、すぐさま行動、指示を出された兵隊の如くきびきびとした動きでスマートフォンを操作し、「おはちゃん」と送った。おはちゃんというのはおはようございますという意味です。2分後には「おは」と返ってくる。私達は共に友達が少なく、常に「新着メッセージがあります。」という緑アイコンの通知に飢えているのだ。我々の所属する大学周辺で昼食がてら、素敵な喫茶店で休憩をとらないかと提案してみる。だがよく話を聞くと彼には予定があるそうだ。心療内科にかかるとのこと。私達は特にそういう、とても人様には聞かせられないような末恐ろしい漆黒のジョークを持て余している。そういうのが好きな心根の腐った人間である。いつもの法則に倣ってボダ野郎などと罵っていたら、だんだんそれが冗談でないことが分かってきた。俺は割とマジで、不本意ながら心療内科にかかります、さあ笑ってくれという感じだった。ここで言い訳を挟むと、精神疾患を患っている人を馬鹿にして笑っているというよりは、自分たちもそういう気があって、常に健常と障害の境界をバランスを取りながらゆっくり、一歩一歩確実に進んでいるような人間の自虐として笑っている。このように私は5限の中国語の授業に出席することなく彼の診察に同行することになった。

 

とりあえず適当に目に入った喫茶店でタバコを吸いながら音楽の話や学業と将来の話、薬物がどうだとか旅に出たいだとか時間とか余裕とかそういった話を途切れ途切れに続けていた。それぞれ一杯ずつのアイスティーで16時過ぎまでねちっこく滞在してしまった。なんか食え。その喫茶店は夜はバーとして経営しているらしく、店主のおばちゃんが「4時までなの、ごめんなさいね」と愛想良く断ってくれたので、こちらこそ大変失礼いたしましたという気持ちで退店。さあ時間も時間だしそろそろ向かいましょう、あの不気味に清潔な箱へ、と自転車に跨る。私は荷台にけつを乗せ、彼はもちろんサドルに腰を降ろす。喫茶店でした会話はいわばジャブ・カウンセリングだ。ジャブ・カウンセリングというのは軽いジャブのようなカウンセリングのことです。本番の右ストレートの感覚を忘れないようにねと注意を促しながら4車線の国道をぐんぐん進む。坂を上ったり下ったりして、上ったり下ったりするたびに上り坂48、下り坂48と言った。こうして思い返すとかなりつまんないけど、友情はユーモアのハードルをめちゃくちゃに下げてくれるので仕方ない。そういうのってみんなにもあるよね?大丈夫だよね?風を切って、風切りKABUKIMACHI!なんて騒いでもまだ着かない。どこまで行くんだ。私は左右の街並みと彼の背中以外何も見えないのでかなり不安になった。本当は心療内科なんてとっくのとうに通り過ぎて、なんか綺麗な海岸とか広くてブランコが置いてある公園に向かっているんじゃないかという気さえした。一度立ち止まって地図を見たら全然逆方向に走っていることが分かってスタート地点まで引き返し、私はもうほとんど飽きていたのでカネコアヤノを歌った。まあまあ音痴な友人もいっしょになって歌っていた。ふりだしに戻ってもまだ勘で進む方向を決めているのでいい加減にしろと一喝、私がナビとなり彼を操作するマスターとなった。いいね、その調子など激励の言葉付きの高性能ロボだ。私はロボなんかじゃないロボ。結局17時半頃心療内科に到着したが、そこはもう整形外科に移り変わっていて看護師のおばちゃんにかなり謝り倒された。今日はやけに淑女の皆さんの頭を下げさせてばかりだな。私達はもう暑さと疲労でへろへろになっていたので、バーミヤンで食事を済ませて帰った。帰り際にかわいいものしりとりをし、途中で友人が韻を踏み出すというハプニングもあった。別に特筆するほどのことでもないが、こういうのってなんか良いじゃんね。友人の善良な部分ばかり見えて楽しいいちにちだった。私と遊んでいるときはいつもめちゃくちゃ笑いまくっているので心療内科にかかる必要があるようには見えなかったけど、人間の特に精神的な部分はそんな簡潔に言い表せるほど薄いものじゃない。どのような形であれ、彼が納得できる結果になりますようにと思っています。

楽園

中野駅から徒歩で行けるようなマンションは一部屋1億円。中央線沿いはすごく高いんだって。三鷹だって総武線の終点のくせに一丁前な値段で売買されているらしい。私の知り得る都会はたかが知れてて、てんやとかビッグボーイとかしかなくて、無駄にデザインの良いビルばかりを乱立させて都会面してるだけの田舎なんだって初めて分かった。ブランド服で身を固めてる大学生みたいでイタい街だと思った。高円寺や下北沢に住みたがる人間は総じて阿呆だそうで、まあそうなんだろうけれども、私は彼がその感覚が身につくような本当の都会の人間であることが羨ましかった。新宿のマンションの一室では食洗機の音がやけにうるさい。新宿に住んでいるくせにそんな静音性もないぼろっちい食洗機を置いているのは滑稽なことだ。彼は数多のおばさんやお姉さん達と寝まくっているので「そんなに食洗機がうるさくて、セックスの時に邪魔にならないの?」と聞いたら、なんで俺がセックスの前に食洗機をオンにする前提なんだよ、どういう性癖?とのことだった。それから付け加えて「食洗機より女のほうがうるさいからね」と言った。ごもっともだ。年齢が10こも離れていると、当然見えている景色も全く違ってくる。ああ私ハタチになるのやだな、せっかく私は年の割に話が分かってウィットに富んでいて、そういう部分が評価されているのに、ハタチになっちゃったらそんな女ごまんといるし普通になっちゃう、普通になりたくない、私は埋もれたくない。彼は俺は19歳じゃないから分からないけど、と前置きした上で、そういう感覚があるのは理解できる、歳取るほど普通になっちゃうよね、と言った。私達は感覚的な部分ですごく共通したものがあると思う。阿呆ちゃんの私には、彼ほど上手にそれを言葉にすることはできないけど、彼は私の複雑な感覚をいつも理解してくれるのだ。そういうのってすごく居心地が良い。話が通じるというのはそういうことだ。

つまんなくなりたくない、19歳のくせに脱税してお小遣いみたいなちょっとの金額を貰っているめちゃくちゃファニーな女でいたいよーと思っています。私があまりに悲しんでいるので、彼が「20歳になったらどこか綺麗なところへ行こう」と気を遣ってくれた。東京に綺麗な場所なんて(私が知る限りでは)ひとつもないし、滋賀は遠すぎるから、間をとって伊豆に行くことにした。なんで東京か滋賀の2択なんだよと言われた。みんな知らないだけだ。私が少し前にお前のことがラブ、と思っていた男の子は、気が狂いそうになるとよく一人で滋賀に行って、写真を撮ったりビジネスホテルに篭ったりしていた。それで私は滋賀が(その男の子が撮った滋賀の写真が)美しいと知った。ていうか滋賀にビジネスホテルなんかあるのか?なんか全部嘘な気がしてきた。いつか滋賀にも行きたいな、大きめの湖を見てみたい。ディズニーランドの新しいアトラクションより、スタバの期間限定フレーバーよりずっと魅力的だと思う。とにかく彼とは伊豆半島に行くことになって、熱川のバナナワニ園ででかいワニのゴツゴツした表面を観察する計画を立てた。私達は共に醜い外見で、異性と寝るのが趣味で、馬鹿みたいな性欲を常に有り余らせている。もはや性欲そのものだ。でもきっとアダムとイヴだって禁断の果実を食べるまではヤりまくっていたに違いないし、そう考えたら私達も神の子みたいなものだよね。唯一違っているのは私達はセックスに多少なりの自己嫌悪や後ろめたさを感じていて、それとは別の顔で生活をしているということだけだ。彼はこれを病気だと言う。私はヘラヘラしながら祈ることしかできない。10こも離れていると正しさの基準ももう全然別物なのだ。主観を大切に、という19歳の私の価値観を彼はもうとうに通り越して、社会的なルールや倫理にどれだけ適合することができるか、という風に物事を見ている。と思う。多分。もしその病気が治る時が来ても、楽園を追放されても彼が常に満たされるように、私への関心が失われないことを願うばかりだ。アーメン