でもみんなのことが大好き

都会に対するコンプレックスを抱えて上京することは、ルッキズムに侵されて整形を繰り返す風俗嬢の思考に酷似している。

 

私の地元は、東京の隣県でありながら東京までは片道2時間はかかるという場所である。田んぼと山と海といつでも売り出されている土地とまばらな住宅のみがあるまちだ。そこでは車がなければスーパーへ買い物に行くことさえままならない。電車とバスは1時間に一本。浅野いにおの漫画で閉鎖的な田舎の町を描写する際に高速道路が描かれていたが、本当の田舎にはそんなものは存在しない。4年ほど前にいわゆる地方都市的な土地に引っ越してきて、高速道路が住宅街を二つに分断するように架かっているのを見て感動した覚えがある。17歳まで古く廃れた町に閉じ込められていた田舎者の私は、歳を重ねるにつれて都会に対するコンプレックスを強く感じるようになっていた。

17歳の私はこんな町に生まれさえしなければ、このままでは腰の曲がった老人たちの臭いが移ってしまう、みんなの鼻はもうその臭いに慣れてしまっている、私はあなたたちとは違う、それを異質だと感じることができる、早くこんな場所から脱出しなければ。必死の思いでなんとか地方都市まで辿り着いた私だったが、買い物の仕方や地下鉄の乗り方、駐輪場が基本的に有料であることや意外とコンビニで年確はされないことまで標準的な生活というものを何一つ知らなかった。当時の私にとっての「都会」での生活は十分に刺激的で、東京まで片道1時間という事実でさえ素晴らしく思えた。

 

先日地元に帰省して、長い付き合いの友人と食事をした。彼女は地元を出てはいないが池袋にある大学まで特別急行列車を使って通っていて、もう地元にはうんざりしているようすだった。私は成人式に出席しなかったので、中学校まで同じだった人たちが今どんなふうになっているのか全く知らなかったのだが、やはり地元に残っている彼女はいろいろと知っていて、インスタグラムでいちいち検索をかけてはこれは誰ちゃん、これは誰くん、と写真を見せてくれた。ほとんどの人たちは地元に残って就職したりやめてフリーターになったり、家業を手伝ったりして暮らしているようだった。特に女の子は結婚したり子供を育てている人もいて、その良し悪しは別として、自分だけがずっと惨めな田舎者の16歳の少女のままなんじゃないだろうかという気がした。しかしその反面、これからも退廃し続けるであろう町とそこに住み着く老人たちの息がかかった閉鎖的なコミュニティの中で一生を終えるなんて絶対に嫌だ、それこそ惨めだ、私はこうはなりたくない、と強く思ってしまった。他人に対して惨めだなんて感じてしまうその精神こそが一番惨めだということはわかっているのに。

私だって自分のおじいちゃんとおばあちゃんは大好きだ。くたびれ色褪せたその思想は気に食わなくとも、もうすぐ死んでしまう人の考えを今更是正しようだなんて愚かなことは流石に考えたりしない。しかし、そんなものが身近にあると色々と厄介なのでできるだけ他人事にするようにしている。おばあちゃんはよく私に、「あなたは長女だし優秀だから婿取りだね。この家を継いでもらわないと死んでも死に切れないよ」と言う。うちは別に何か商売をやっているわけではないのだが、私の三世代前、おばあちゃんのお母さんの世代ではかなりのお金持ちだったらしく、そんな素晴らしかったこの家系を絶やさないでほしいと言うことなのである。小さい頃からそんな感じのことを言われ続けてきたので、これはどんな家も抱えている問題なのだろうな、優秀な長女の皆さんはどうしているんだろう、と考えていた。そのことを昔の恋人に話したら、「すごいね、家系がどうとか考えたことも言われたこともなかった」と言われてすごく驚いた。どの家でも抱えている問題ではないのだ。私のおばあちゃんは、過ぎ去ってしまった栄光を引きずり墓石までの数歩を重い足取りで歩くゾンビだったのだ。私は難しい気持ちになった。

 

将来は国分寺とか立川とかに小さい家を買って黒くてしなやかな犬を飼って暮らしたいと思っている。