日記

友人が精神を病んだ、らしい。その日私は大学の喫煙所で、授業中の退屈な気持ちを吐き出すような気持ちでタバコを吸っていた。3,4限と空きコマが続くのでお昼はもう少しあとに食べてもいいな、青やファンデーションの匂いが充満した食堂でひとり食事を取る気にもならないし。しばらく会っていない(と言っても1週間くらいだけど、退屈な生活をしていると1週間というのはひどく長い時間になる)友人と喫茶店にでも行こうかしらと思い立ち、すぐさま行動、指示を出された兵隊の如くきびきびとした動きでスマートフォンを操作し、「おはちゃん」と送った。おはちゃんというのはおはようございますという意味です。2分後には「おは」と返ってくる。私達は共に友達が少なく、常に「新着メッセージがあります。」という緑アイコンの通知に飢えているのだ。我々の所属する大学周辺で昼食がてら、素敵な喫茶店で休憩をとらないかと提案してみる。だがよく話を聞くと彼には予定があるそうだ。心療内科にかかるとのこと。私達は特にそういう、とても人様には聞かせられないような末恐ろしい漆黒のジョークを持て余している。そういうのが好きな心根の腐った人間である。いつもの法則に倣ってボダ野郎などと罵っていたら、だんだんそれが冗談でないことが分かってきた。俺は割とマジで、不本意ながら心療内科にかかります、さあ笑ってくれという感じだった。ここで言い訳を挟むと、精神疾患を患っている人を馬鹿にして笑っているというよりは、自分たちもそういう気があって、常に健常と障害の境界をバランスを取りながらゆっくり、一歩一歩確実に進んでいるような人間の自虐として笑っている。このように私は5限の中国語の授業に出席することなく彼の診察に同行することになった。

 

とりあえず適当に目に入った喫茶店でタバコを吸いながら音楽の話や学業と将来の話、薬物がどうだとか旅に出たいだとか時間とか余裕とかそういった話を途切れ途切れに続けていた。それぞれ一杯ずつのアイスティーで16時過ぎまでねちっこく滞在してしまった。なんか食え。その喫茶店は夜はバーとして経営しているらしく、店主のおばちゃんが「4時までなの、ごめんなさいね」と愛想良く断ってくれたので、こちらこそ大変失礼いたしましたという気持ちで退店。さあ時間も時間だしそろそろ向かいましょう、あの不気味に清潔な箱へ、と自転車に跨る。私は荷台にけつを乗せ、彼はもちろんサドルに腰を降ろす。喫茶店でした会話はいわばジャブ・カウンセリングだ。ジャブ・カウンセリングというのは軽いジャブのようなカウンセリングのことです。本番の右ストレートの感覚を忘れないようにねと注意を促しながら4車線の国道をぐんぐん進む。坂を上ったり下ったりして、上ったり下ったりするたびに上り坂48、下り坂48と言った。こうして思い返すとかなりつまんないけど、友情はユーモアのハードルをめちゃくちゃに下げてくれるので仕方ない。そういうのってみんなにもあるよね?大丈夫だよね?風を切って、風切りKABUKIMACHI!なんて騒いでもまだ着かない。どこまで行くんだ。私は左右の街並みと彼の背中以外何も見えないのでかなり不安になった。本当は心療内科なんてとっくのとうに通り過ぎて、なんか綺麗な海岸とか広くてブランコが置いてある公園に向かっているんじゃないかという気さえした。一度立ち止まって地図を見たら全然逆方向に走っていることが分かってスタート地点まで引き返し、私はもうほとんど飽きていたのでカネコアヤノを歌った。まあまあ音痴な友人もいっしょになって歌っていた。ふりだしに戻ってもまだ勘で進む方向を決めているのでいい加減にしろと一喝、私がナビとなり彼を操作するマスターとなった。いいね、その調子など激励の言葉付きの高性能ロボだ。私はロボなんかじゃないロボ。結局17時半頃心療内科に到着したが、そこはもう整形外科に移り変わっていて看護師のおばちゃんにかなり謝り倒された。今日はやけに淑女の皆さんの頭を下げさせてばかりだな。私達はもう暑さと疲労でへろへろになっていたので、バーミヤンで食事を済ませて帰った。帰り際にかわいいものしりとりをし、途中で友人が韻を踏み出すというハプニングもあった。別に特筆するほどのことでもないが、こういうのってなんか良いじゃんね。友人の善良な部分ばかり見えて楽しいいちにちだった。私と遊んでいるときはいつもめちゃくちゃ笑いまくっているので心療内科にかかる必要があるようには見えなかったけど、人間の特に精神的な部分はそんな簡潔に言い表せるほど薄いものじゃない。どのような形であれ、彼が納得できる結果になりますようにと思っています。